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2008年06月26日

因果応報



手塚治虫のブッダのコミックを読み、「因果応報(いんがおうほう)」と言う、4文字熟語がありました。
その意味が気になってたので、調べていくと現在、興味を持ってる疑問と、関連してることがわかりました。
うれしくなったので、メモとして、張っておきます。

ネットでその意味が書かれていたのもコピペしておきます。
私の考えとニュアンスが違うのですが、興味深いので参考にします。


因果応報とは


大切な人を殺されたのだから、その相手を殺して復讐する——その正反対の教えだったのではないか?


更に、死刑制度に関するネタが続く。——死刑制度のところで「因果応報」というのが出てきた。「人の命を奪えばその因果が自分に返ってくる」だから死刑制度というのはあってよいのだ、的な考えね。そのときに「因果応報ってのはそーゆー意味じゃねーだろ」と突っ込んだんだけど、どうもこの言葉、「え? そういう意味でしょ?」と思っている人が多いようなのだ。

悪いことをすれば必ず悪い結果となって自分に返ってくる。「因果応報」とはそういう意味、ではない。因果応報の意味、それは単に「すべてのものごとには原因と結果がある」というだけのものだ。そこに「悪いことをすればうんぬん」という意味などない。

「因果」というのは「原因と結果」のことだ。ある結果には、必ずその原因となるものがある。そういうこと。そして「応報」とは「原因に応じて結果が現れる」ということ。これが「悪いことをすれば、悪い結果になる」というように読み違えられてしまうのだろうけど、別にそういう意味ではない。というか、そもそも「そんなもんを結果というな」というべきか。

原因があって結果がある。重要なのは、その原因は「一つではない」ということだ。たくさんのさまざまな要因によって結果がある、ということ。更に、「その結果によって、次の結果がある」ということ。——世の中のことというのは、「良い原因が一つあるだけ」なんてことはありえない。どんなことであれ、その結果の原因となるものは何十何百とある。その中にはよいものもあれば悪いものもあり、そうしたたくさんの原因の積み重ねとしてさまざまな結果がある、ということなのだね。

そして、そうしたさまざまな結果の積み重ねにより、次の結果が現れる。更にその結果によってその次の結果が・・そうやって原因と結果の輪廻は連綿と続くのだ。そして重要なのは「我々は、そうした道筋の途中にいるのだ」ということ。我々には、まだ「結果」は見えないのだ。たとえ何かの結果が得られたと思っても、それが原因となって更にその次の結果へ、そのまた次へと連なっている。そうして延々と続く繰り返しの果てに、最終的な結果が現れるわけだよね。

だからこそ、仏教の世界では「悪いことをしたんだから悪い結果になったんだ」的な考えはしなかったはず。逆に「悪い結果であっても、そこから更に精進すれば良い結果に結びつくのだ」ということだったと思う。——そういう観点からすれば、「人を殺したから死刑」を因果応報というのならば、「人を殺して刑務所にはいったが、罪を償い、悔い改め、そして見事に立ち直って立派な人生を歩んだ」というのも因果応報なのだよね。

そして「因果応報」ということからすれば、「被害者が私的に復讐する」ということがいかに愚かなことかわかるはずである。復讐などしなくとも、悪いことを積み重ねる人間は必ずいつの日かその報いが来るのだ。逆に「復讐」なんてものによって、次の「悪い結果への要因」を生み出してはならないのだ。

大切な人間が殺された。その悲しみは想像するにあまりある。だが、その上に更にまた、相手を憎み続け、恨み続け、そしてそいつを殺すためだけの日々を積み上げていくなんて、なんと悲しい人生なのだろう。「憎い相手を殺すためだけの人生」、それはまさに「悪い原因が悪い結果を生む」の典型とはならないか。そうした悪循環を戒めるためにこそ、因果応報という言葉はあるのではないのか。

(——というのが僕の理解なのだけど、僕は別に仏教の熱心な信者でもないし、そもそも信徒でもないので、正確には理解してないと思う。勘違いしているところがあれば教えてください)

・・どうもこの「因果応報」というのが妙に硬直した意味しか持たなくなったのは、昨今の似非宗教家や占い師の影響がでかいんでないか?とか思ったりする。「今、うまくいかないのは前世で悪いことをしたからだ」とか「先祖が悪いことをした祟りが」みたいに因果応報を説く人、いるでしょ。あれあれ。「過去に悪いことをしたんだから、絶対に悪い結果になるに決まっている」というのは、仏教とは正反対の考えではないのか? 「たとえ悪いことをしても、努力し善行を積むことで良い結果へと転じることができるのだ」ということこそ仏教的教えじゃないのかね?

世の中には「お金持ちはたくさん努力してたくさん良いことをしたからそういう結果が得られたんだ。貧乏人は怠けてばかりで努力しなかったから貧乏なのだ」というぶっとんだ考え方の人がいる、のだそうだ(嫁に聞いた)。因果応報を勘違いした典型だろうと思う。——ところが、こうした「勘違いした理解」のほうが、世の中では「因果応報の正しい意味」として定着してしまっているところがある。そこのところが僕にはとっても怖い。

因果応報というならば、相手の悪い行為に対し、悪い行為で返してはならない。「目には目を、歯には歯を」という復讐こそ、因果応報からすれば避けなければいけないことではないのだろうか。悪いことに対し、善行で返す。それこそ、因果応報のあるべき姿だと思うのだよね。

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この記事へのコメント
なっが!
Posted by sonan at 2008年06月26日 22:56
一応、全部読んで♪

ただ、意外なのが「因果応報」を

病院内でよく使われているというのには驚きました。
Posted by じぇっとじぇっと at 2008年06月26日 23:43
なが~~い><
目が疲れた・・・まあ宗教、先祖のせいにするのではなく本人の考え方次第だな。
難しいことはいえないが・・・
じぇっとさんにそんな興味があるとはおもわなかっただ~
Posted by yama at 2008年06月27日 13:11
私の「因果応報」の言葉に興味をもったのは、
輪廻に対する興味と、
遺伝や先祖に対する興味からです。
そして、私の興味のある心理的な分野からも
これに引っかかる点があったので調べてみました。
ただ、いろんな分野でこの因果応報を使われていることには、驚かされました。

>yamaさんへ
全くです。本人の考え方次第だと思います。

因果応報の参考分では、先祖に対する文言がありますが、「先祖が悪いことをした祟りが」とか、ありますが、その苦しみや悲しみを「知る」ということが鍵だと思います。知ることによって、相手を思いやる気持ちを考えることこそが、yamsaさんの言う「本人の考え方次第」で、人生が左右されるかと思います。

ちなみに、私は何でも興味を持ちますよ。
「広く浅く」じき深く♪
Posted by じぇっとじぇっと at 2008年06月28日 01:06